今日東京に地震が来ておもいだしたこと
去年『寝ても覚めても』を見た時、私の人生には恋愛がないということに、特に若い年齢での恋愛、青春にあたる恋愛はもう絶対にないということに、作品の趣旨そっちのけで胸が張り裂けそうになった。
作品の趣旨に沿った感想もたくさんあったはずだけど忘れた。
東京は被災しても、所詮不安なだけで、泥臭くなくていいなとか、地震すら突発的ルミナリエみたいなイベントだな、こんなドラマチックで美しい再会しやがってとか。そんなちょっと人でなしな感想もよぎった記憶がある。嘘です人でなしとか別に思わないこんなことくらいで。立場の弱いサイドの当然の負の感情を簡単に大味なレッテル貼って取り締まるな拗ねだの逆恨みだの僻みだのなんだの。
あとそうだ、リリスみたいだなとか。
12室抜けっぽいとか…。
こういう可憐で儚くて透明感のある、妖精みたいな、完成度がえぐくないとそもそも志向することすら許されざるようなジャンルの女の子を、開き直って若〜い頃に目指して努力していたら、もしかしたらめちゃくちゃ気持ちいい思いも出来ていたのかなとか、キモくて情けないこともたくさん思った。9歳頃から目指していたらもしかしたらなんとか…とか。なんとかなんねえよ
ここ数年で私の中で東京に対する敵意が増幅している。
わかりやすい要因は色々あるけど、地震の際のそれに関しては、数年前私の地元ででかめのがあった時、親しかったはずの東京の知り合い2人が完全スルーだったことや、Twitterが同様にほぼ通常運転で流れていったことへの怨みだった。自分でも意外なくらい怒りを覚えた。心配してくれた人たちのことは忘れないし、彼らの土地で地震が起きたら心配するけど、それ以外の人々に対して確かな心の壁ができた。マッキーの太い方でビッと線が引かれた。当時私の地方でしょっちゅう震度4とか5とかあって、その度に怖かったけど慣れていたのに、東京で3だの4だのちょっと揺れると初めて「世界」で地震があったかのようにTwitterあげて大騒ぎ。ものすごい連帯感。Twitter=東京。Twitterにとっては東京だけが「我々」であり「みなさん」。
なんだこれくっだらねーーーーーー他人しかいない他所の土地の地震の心配なんてバカくさいことしなくていいんだ。
でも地震の怖さはみんな同じだよねとかなまじ自分もあの時怖かったから同情心が湧いたり、多数でないにしろいい人も心配してくれた人もいたのだと自分でもわかってはいるのでやっぱりこの拗ねたような感情はひどい気がする、と思ったりしてるうちに、寝ても覚めてもの東京の被災からの主役2人の再会シーンを思い出した。
主人公の唐田えりかが可愛いし美しいし綺麗で儚くて、恋愛自体も同様に綺麗でヒリヒリして、愛する様も愛される様もドラマチックで、本当に羨ましくて仕方がなくて、泣きたくなる映画だった。
街中で探して彷徨ったら奇跡的に出会える展開が、妬ましいくらい羨ましかったのは、私も特定の人間に奇跡的に再会したくて徘徊に近い放浪を繰り返したことがあるからだろう。
そういう、さあ
奇跡的な、とか
みつける、とか
ズル過ぎて逆に感動できないだろ
胸は打たれるし感心するけど、出来すぎていて心底感動できない
白く細く綺麗で透けそうで儚くて 手に触れるとジュッて消える雪の結晶みたいな、だれかにとってのクリティカルヒットにアニマそのものみたいな存在になれたなら、それを確信できたなら、気持ち良過ぎて昇天するに違いない。
あー来世は絶対美人にしてくれ!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!! !!!!!!!!!!!!
でも生理があるのはやだから生まれつき膣がない病気?の美女がいい。